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執筆者の写真エース栗原

第3章エース栗原回想記

更新日:2020年2月23日

大学1年自転車の旅

デビュー戦を終えて、暗所恐怖症を自覚。

ちなみに閉所恐怖症でもある。二重苦。笑

ジェットコースターの安全ベルトを下ろして動けなくなった時が一番怖いという。。。majide


トライアスロン部に入部したものの、大学に入り僕が一番やりたかったのはトライアスロンではなかった。僕がしたかったもの、それは…



自転車の旅



高校時代から旅は憧れであり、親元を離れて旅をして色々な景色を見たいとつくづく思っていた。だからこそ高校3年の時に青春18切符で東京〜広島間を往復した。往路は日本海側、復路は太平洋側の移動というこだわりっぷり。日本の広さを感じていた。



電車でこんな素晴らしい思いが出来るのなら、自転車ならもっともっとすごいんじゃないか。


ロードバイク用の荷台を購入し、

1人用テントを購入し、

キャンプ用品を購入し、

東京をスタート!!!



この自転車でどこまでも行ける気がしていた。


この時は自転車の旅は

東京〜山梨〜松本〜越後湯沢〜会津若松〜日光〜東京という関東の外側1周ルート


驚くべきは2006年当時、iPhoneはおろかスマホで地図検索なんてことはできなかった時代だ。目的地までの距離やルートをどうやって決めなければならないのか。当時の必携品はマップル地図だった。

そこに30cmのタコ糸を入れて、進みたい道に這わせることで、おおよその距離を測りだしていた。majide


そんな自転車の旅の洗礼は初日からやってくる。


自転車の荷台にはテントとキャンプ用品、背負うリュックの中には着替えや食料などを入れていた。しかし、ここでロングライドの教訓。


『背負った荷物は、腰と股間の負担が倍増』


1日目110kmを超えた笹子峠で酷い腰の痛みに襲われる。

早すぎる、1日目からこの状態。笑


1日目は130km地点

山梨県笛吹市石和付近の橋の下の川沿いの遊歩道で野宿。

腰の痛み、そして初めてのテント泊は小さい音でも気になってしまい全く眠れず。スタートの希望に満ち溢れた感情とは変わって不安しかなかった。


翌日から


対策としてほとんどの荷物を荷台に縛りつけること、2日目の野宿に関してはもはや極度の疲弊で寝てしまい気にするまでもなかった。日が落ちて眠り、日が上がるとスタートするという生活で進んでいく。


そこからもスノーシェードの下で寝たり、潰れたパチンコ屋の入り口の屋根下で寝たり、コンビニ裏の空き地の芝生が一番寝やすいし、買い物も楽だったり。


水はもっぱらガソリンスタンドかコンビニの手洗い場から汲んで、粉ドリンクを薄めて飲んでいた。金はないが、毎日が楽しく希望に満ち溢れていた。

越後湯沢で母校の夏合宿にOBとして顔を出し、会津若松で祖父母に顔をだして、12日間990kmを走行して帰宅。千住大橋を越えてからは知っている道でテンション上がったことを覚えている。


会津若松で祖父母と再会し、お土産など持っていないことを詫びると

「あなたが顔を見せてくれたことが何よりのお土産だよ」と。


毎年8月末に出場しているうつくしまトライアスロンin会津はあのころからの僕の応援をしてくれている祖父母に感謝を伝えるレースだ。



去年はハーモニカの発表会で来てなかったけど。笑


速くなりたいとも強くなりたいとも思っていなかった大学1年の夏はこれで終わり。


~当時のブログをこちらから~


次回、第4章。

初マラソン、そしてデュアスロンデビュー戦。



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