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執筆者の写真エース栗原

第13章エース栗原回想記

更新日:2020年3月15日

2010年日本デュアスロン選手権

その日は冷たい一日だった。

静岡県伊豆市修善寺で開催されたデュアスロンの日本選手権。

気温3度、土砂降り、そして強風。今までにないほど悪天候のレースとなった。こんな中でも日本チャンピオンを決めるレースが開催された。


スタートラインに並ぶのはデュアスロン四天王


皇帝:深浦祐哉選手

昨年度日本王者:飯干守道選手

トップヒルクライマー:森正選手

中年の星:高橋泰夫選手

弱まることのない雨脚がスタートラインに立った僕らにこのレースの厳しさを伝えている。

『オレは速い、オレは強い』


この頃の僕はスタートダッシュがお家芸。寒さでペースがネガティブになるのを打ち破るためにスタートから飛ばしていく。

どうせ追いつかれるのにとか、無茶なハイペースとか色々言われていたけど、僕が好きだったのは、ホームストレートに帰ってきた時の歓声を独り占めできる感じ。この日もそうだった。

「先頭は国士舘大の栗原選手!!」

走っている時は1人だ。でも応援をしてくれている人の分も走っているんだ。3kmほどして後続に追いつかれて先頭集団を形成、いよいよ四天王に挑む。

走っている間こそ暖かさを感じることはできていたが、バイクに移るとそれさえもあっという間に消え失せた。雨粒が痛いほど顔にあたり、それが冷えることで顔も硬直していく。

集団を形成しようとするが、修善寺のコースはアップダウンしかないため、向かい風を分け合えるほど効率的に走行することはできない。なにより、このコースは乗鞍HC覇者でもあるヒルクライマー森選手の得意とするコース。上り区間の速さと、ウェットな路面でも下りを攻めていく。その背中はどんどん離れていく。


バイク序盤で飯干選手が低体温症でレースを退く。冷たい雨と風が選手たちの体力と継続する力をどんどんと奪っていく。バイク中盤では深浦選手がウェットな下り区間で遅れていく。


このころになると濡れたグローブが手を冷やし、手がかじかんでブレーキを握ることやギヤ変速することすらできなくなってきていた。


ただ一人だけを除いては


唯一、ピンクのゴム手袋を付けていた男。。。


エース栗原

レース前に100円均一で買ったやつ。笑

しかし、このゴム手袋が当然ながら完全防水!ブレーキも変速も全く問題なし。


ラスト1周の上りの変速を手早く済ませてアタックを決めて高橋選手を引き離してバイクフィニッシュ。トランジッションエリアであり得ない実況が流れていた。


「森選手、靴が履けない!」

かじかんだ手で靴を履くことの難しさをここで知る。しかし、ゴム手袋の僕は楽勝で靴を装着できた。次はヘルメットを外して…




ヘルメット外せない。majide


ゴム手袋によって指先の細かい作業が出来ない。

ここで僕はすぐにヘルメットを装着したまま走ることを選択する。

この事態をきっかけにしてかしていないかは定かではないが、現在の競技規則ではランでヘルメットを装着することは禁止になっている。笑 majide


低体温症でペースの上がらない森選手を2km地点でパスして、先頭に躍り出る。手が暖かいだけでなんでこんなに走れるんだろう。そして迎えるフィニッシュライン。


インカレチャンプの岡公記が「やりおった!」とニコニコしながら手迎えてくれる、それだけじゃないこの競技を通じて知り合ったたくさんの仲間たちが出迎えてくれている。

日本チャンピオン


あの日は冷たい一日だった。

でもそこには熱い涙が混じった一日だった。

100円のゴム手袋で掴んだ栄光。

大学入学時に名乗ったエース栗原は、こうしてエース栗原になった。


次回、2010年世界デュアスロン選手権エジンバラ/スコットランド大会



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