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執筆者の写真エース栗原

第26章エース栗原回想記

2015年デュアスロン日本代表選考会


3月22日カーフマンチャンピオンシップ


この年にオーストラリア/アデレードで開催される世界デュアスロン選手権の日本代表の選考を兼ねている大会だ。


選考基準は2つ

1.この大会で3位以内

2.認定記録会で5000m15分22秒以内


すでに5000mの標準記録は突破していたので、あとはこのレースでの結果が求められる。

もちろんその結果を狙っているのは僕だけじゃなく、ここにいる全員が狙っているんだ。



1stRun5km-Bike30km-2nRun5km


いつもはレースメイクをするためにスタートダッシュをするが、今回ばかりは冷静に走り先頭集団で過ごしていく。

1stRunから先頭集団を離れる選手はなく、チャンスはトランジッション。

トランジッションに先頭で駆け込むことはもちろん、《靴を脱ぐ・ヘルメットをかぶる・バイクを持って乗車ラインへ・乗車して巡航速度へ加速する》この動作を誰よりも早くこなし、ミスや遅れをとった選手をしっかりとふるい落としていく。

誰よりも速く誰よりも前に。

集団は10名ほどだろうか。

これぐらいの人数ならば牽制し合うこともなく、休憩に回り続けさせることもなく、全員で走行していく。序盤であれば、これは後続集団から逃げる手段となり、後半では2ndRunに向けた実力を図る展開となっていく。

後続の追い上げの可能性もなくなり、集団内ではストレッチをしたり補給をしたり、勝負の2ndRunに向けた準備が始まっている。

バイクラスト1kmからはトランジッションに先頭で入るために場所どり争いが繰り広げられる。まだまだ距離のあるこの位置で集団の先頭を走行している選手がそのまま先頭でトランジッションに入ることはあり得ない。かといって先頭を走行して最後に無駄な体力を使いたくはない。


そんな牽制が入った集団からしびれを切らせてアタックをしかけ、集団を飛び出す選手もいる。またその選手の後ろに入り、効率的にペースアップを図る選手もいる。僕はその後ろについた。


バイクラスト300mアタックした選手のペースが落ち着き、バイクシューズを脱ぐ動作に入る。この動作の瞬間に僕は先頭に立ってからシューズを脱ぐ。わざとふらつく動作を見せて『今の状態の栗原を抜くのは危ない』と思わせる。


そして先頭でBike-2ndRunトランジッションへ。

ハマった。


バイクをまだ収納できていない選手がいる中で一人走りだす。


その差は5~10秒だろうか。

さっきまで一緒に走っていた選手が、ランやバイク以外の実力で50m以上先を走っている時の精神的なダメージは大きい。


2,5km地点でトップは4名。

王者 深浦選手、クライマー森選手、アフロ 田中選手。


3km地点でペースアップがかかる。

『この中で負けたら世界選手権もないぞ!』

そう言い聞かせなながら自分に喝を入れていく。


そんな想いと裏腹に深浦選手と森選手の背中が離れていく。

田中選手と3位争いをしていたが、4km地点の折り返し後の加速で離されてしまう。


ラスト500m、最後の力を振り絞ると、背中が近づいてきている。

まだだ!ゴールするまであきらめるな!


そしてフィニッシュ!

3位田中選手がゴールしてから7秒後の4位。

世界選手権の切符は手にすることができなかった。


フィニッシュ後、しばらく茫然としていた。

世界選手権にいけないという虚無感とたくさんの仲間が現地やSNSで応援してくれたのを裏切ってしまったような感情さえあった。


それから僕はフェンスで顔を隠しながら、泣いていた。

競技で悔しくて泣いたことなんてなかったのに。


そんな姿を見て、東京から来た仲間がそっとこう言った。


「エース、お疲れ様。後ろに水置いておくよ。お疲れ」

「あり、、ありがとう、、ございます・・・」


しばらくして、ようやく周りの景色を見る事ができるようになってきた時、改めて今日の結果を考え直してみた。

「4位で世界選手権に行けなかった」ことには変わりない。でも、


4年前日本チャンピオンになり、その後諦めて山梨に移住、そんな山梨で見つけたチャンス、それを支えてくれた仲間たちがいる。ここの舞台に立つことすら独りでは辿りつくことはできなかったじゃないか。


今日の4位は終わりの4位じゃない。始まりの4位だ。


そう考えると僕はしっかりと「ありがとう」を伝えなければらないと思った。

まずは今日、この舞台で応援してくれた仲間たちに。


ふっと見渡すと水を置いてくれた仲間はすでに帰ろうとしていて遠くに背中だけが見えた。僕はすぐに追いかけた。そして声をかける。


「さっきはまともに感謝を伝えることができずに、すいません。僕がここにこれたことはMさんや仲間のおかげです。ちゃんと顔を見て感謝を言わなきゃいけないと思いました。本当にありがとうございました!ここからまた強く速くなっていきます!」


そうすると涙をボロボロとこぼしながらMさんはこういった。


「エースは僕が決して見れなかった景色を見せてくれてるんだ。だからこそ胸張っていって欲しい。エースの景色をこれからも見せていってください。こちらこそ、ありがとう」



有難う


この言葉は感謝の意だけでなく《有るのが難しい》ことに必要な言葉なんだと思う。

争うライバルたちもそもそも競技を行うレースがなければ、僕は4位という結果を残すことすらできない。だからこそ僕はどんな結果だとしても笑顔でし続けよう。


そんなことを誓って4位の表彰台に立つ。

スポーツ・デュアスロン・カーフマンジャパン・ライバル・仲間、すべてにありがとうを言葉と行動で伝えていこう。


次回、2015年アメリカ/アルバカーキ遠征


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